最上川と最上小国川が合流するあたりに舟形町富田地区がある。その昔は、猿羽根村と呼ばれたエリアである。延文5年(1360年)に、八幡太郎義家の末孫、源次郎義元の二男、源次郎義高という人が奥州よりこの地に来て、轟という所に楯を築き、その後、貞治元年(1362年)に沢口山のこの地に、楯を移した。土地の名前をとって、猿羽根播磨守源次郎義高と称し、以後、猿羽根家の居城となり、天正17年(1589年)までの227年間、七代にわたり、6700石を領していたという。
楯や居城を構えたことから、見張るにふさわしいエリアがこの富田地区である。その眺望は、出羽富士鳥海山、霊峰月山を望み、眼下に最上川を従える。また、富田と呼ばれるだけあって、肥沃な土地柄であることも想像できる。
高床、二階建てのこの邸宅は、その風情を今に伝える佇まいである。旗竿地のため、冬の除雪など工夫が必要ではあるものの、隣地は空き地なので解消できそうだし、そのおかげで約100万円の値引き査定がされている。高床住宅は、屋根の雪対策には大いに貢献してくれる。宅内に入ると広い玄関廊下と二階へ続く立派な階段が出迎えてくれる。家財道具はおおむね整理されており、いたみも少ない印象だ。建材を見ると在来工法の本格住宅であることが伺える。特徴は、玄関廊下から高床部分へつながる階段がある点である。宅内から地下室へ行けるというイメージだ。空間もあり、明かり採りの窓もあるので、趣味に使いたくなる。家庭菜園や園芸スペースにしてもよさげである。裏には畑もある。
その昔、俳人松尾芭蕉が奥の細道で通った歴史を感じつつ、眺望を楽しみ、家庭菜園で収穫した農産物を食しながら過ごす。なんて素敵な生活だろう。